松谷明彦氏講演会に参加

千葉県第四ブロック研修会に参加してまいりました。
講演者は、政策研究大学院名誉教授の松谷明彦氏でありまして大変興味深かったです。
演題は人口減少時代の地域政策です。

私が注目すべき論点は以下の点です。
①より一層厳しい環境に置かれるのは日本の大都市地域であって、地方地域ではない。また大都市地域における急激な高齢化の流れを変えることはできない。
②少子化対策をとっても無理なものは無理という認識からスタートすること。※松谷氏は優性保護法で一度人口政策をしたことが現在になって構造的な問題となっていることを論拠に挙げている。施行後は施行前と比べ新生児が230万人から160万人へと約4割減した。また施工後、以前の水準のように子供を産むことはない。
③年金は維持不可能であり、都市部の高齢者の生活コストのうち多くをしめる住居費を軽減する政策が求められる。
④寿命が延びることは貧しくなることと覚悟すること。
⑤明言はしていなかったが、経済的なものに偏重してはいけないということ。経済を考えると高度経済成長のようなイケイケの時代ではない。

特に優性保護法については知らなかったので勉強になった。論点が論点だけになかなか学者の人も言い出せない観点ではないかと思う。またとにかく経済的には未来は厳しいとの論調だったが、それはしょうがない。社会保障制度がまずいことなんて私が大学生時代から知っている。戦争のため、亡くなった方の苦労に比べれば大したことはないと思って踏ん張っていくしかない。

※優生保護法(母体保護法)
優生保護法の成立
母体保護法は、当初は1948年(昭和23年)に、優生保護法という名称で施行された。この法律は、戦前の1940年(昭和15年)に、国民優生法(断種法)に沿革を有するもので、国民優生法と同様優生学的な色彩が強い法律であり、不良な子孫の出生の抑制を目的とし、母体の保護はそのための手段という位置づけがなされていた。もっとも、戦前の国民優生法においては、強制断種の条項に象徴されるように優生手術(不妊手術)に重点を置いており、中絶一般については否定的な立場をとっていたが、戦後の優生保護法においては、戦後の混乱(復員による過剰人口問題、強姦による妊娠の問題)を背景にし、妊娠中絶の合法化の手段のため優生思想を利用したという側面があった。第1回国会において国民優生法案を提出したのは日本社会党(当時)の福田昌子、加藤シヅエ、太田典礼といった革新系の政治家である。一方で、優生思想に基づく条項の多くは残存したままとなった。

改正案を巡る議論
1949年(昭和24年)の法改正により、経済的な理由による中絶の道が開かれ、1952年(昭和27年)には中絶について地区優生保護審査会の認定を不要とした。刑法上の堕胎罪の規定は存置されたが、空文化が指摘されるようになった。

その後、高度成長により、経済団体の日本経営者団体連盟(日経連)などからは将来の優れた労働力の確保という観点から中絶の抑制が主張されるようになった。また、宗教団体からは、生長の家とカトリックが優生保護法改廃期成同盟を組織して中絶反対を訴えた。一方、羊水診断の発展により、障害を持つ胎児が早期に発見されるようになり、日本医師会は生長の家などの主張には反対しつつ、障害を持つ胎児の中絶を合法化するように提言した。こうした、思惑は違えど様々な改正案の動きがあった。これに対して、全国青い芝の会などの障害者団体は優生学的理由を前面に出した中絶の正当化に対して、中ピ連やリブ新宿センターなどの女性団体からはそれに加え、経済的な理由に基づく中絶の禁止に対する反発が広がるようになった。

1970年代から1980年代にかけて、両者の間で激しい議論がなされた。1972年5月26日、政府(第3次佐藤改造内閣)提案で優生保護法の一部改正案が提出された。改正案は経済団体や宗教団体などの意向を反映したもので、以下の3つの内容であった。
1.母体の経済的理由による中絶を禁止し、「母体の精神又は身体の健康を著しく害するおそれ」がある場合に限る。
2.「重度の精神又は身体の障害の原因となる疾病又は欠陥を有しているおそれが著しいと認められる」胎児の中絶を合法化する。
3.高齢出産を避けるため、優生保護相談所の業務に初回分娩時期の指導を追加する。

障害者団体からは主に2が、女性団体からは主に1と3が反対の理由となった。法案は一度廃案になったが、1973年に再提出され、継続審議となった。1974年、政府は障害者の反発に譲歩し、2の条項を削除した修正案を提出し、衆議院を通過させたが、参議院では審議未了で廃案となった。

宗教団体などによる、経済的理由による中絶禁止運動はその後も続いた。マザー・テレサは1981年、1982年と二度の来日で、中絶反対を訴えている。一方で日本母性保護医協会、日本家族計画連盟などが中絶を禁止するべきでは無いと主張し、地方議会でも優生保護法改正反対の請願が相次いで採択された。その結果、1981年(鈴木善幸内閣)から再度の改正案提出が検討されたが、1983年5月(第1次中曽根内閣)には、自民党政務調査会優生保護法等小委員会で時期尚早との結論を出し、国会提出は断念された。

2014年01月16日
柳 毅一郎

 

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