プロフィール

略歴

1984年(昭和59年)東京都文京区生まれ
サラリーマン家庭に生まれる。
2002年(平成14年)明治学院高校卒業
一生付き合うだろう友人ができました。
卒業後は浪人生となり、一念発起し本当に勉強しました。
それは、家族から人が変わったと言われる程でした。
2008年(平成20年)早稲田大学商学部卒業
大学時代は早大雄弁会(弁論部)に入り活動。
それまで政治を冷めた目で見ていましたが、雄弁会で活動する人達を見て考えを改めました。
ここでも、一生付き合うだろう友人ができました。
2008年(平成20年)株式会社商工組合中央金庫入庫
中小企業への融資業務を担当。
銀行の扱っている商品、「お金」を通じて、その大切さや厳しさを学びました。
2011年(平成23年)浦安市議会議員に当選
2012年(平成24年)慶應義塾大学大学院経営管理研究科中退
カリキュラムには殆ど参加できませんでしたが、有意な仲間はできました。そして今後ともいただいた縁を発展させていければと思っております。
2015年(平成27年)浦安市議会議員 2期目当選
2019年(平成31年)浦安市議会議員 3期目当選
2023年(令和05年)浦安市議会議員 4期目当選

柳きいちろうを紹介します!

サラリーマンの父と専業主婦の母との間に一人息子として文京区に生まれ、豊島区で育ちました。祖父母とも同居していたので、毎日、大人の話を聞きながら、楽しく育ちました。

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父の仕事の都合でインドネシアのジャカルタに3歳から約2年間過ごしました。当時は、まだインドネシアは発展途上であり、子供ながらに日本との違いを感じていました。また、日本にはない果物がとってもおいしかった記憶があります。

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野球少年だった小学校時代。チームでは、キャプテンを務めました。早生まれで体が小さく、チーム内で一番野球が上手いという訳ではなかったのですが、練習を頑張っていたからかもしれません。母親の教育方針は、挨拶ができればテストが出来なくてもいいといったもので、学校から帰ると、玄関にカバンを置いて、友達の家や児童館や校庭開放に行くような子供でした。盆暮正月は母の実家に行き、夏は川に行って釣りや素潜りで魚突き、冬はかんじきを履いて冬山に登ったり、親戚とスキーをするなど、元気な子供だったと思います。

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中学・高校・大学では、信頼できる友達ができる等、充実した学校生活を送りました。中学は地元公立中学校、高校は港区にある明治学院高校に進学しました。高校時代は、友達と良く話をしたり、毎日のように遊びにいったり、アルバイトをしたり、コミュニケーション能力は養われたと思います。社会勉強は良くしましたが、受験勉強は力及ばず浪人をすることとなります。ここで今まで何にも本気で頑張ったことのない自分を恥じ、心を入れ替えました。浪人生となり、せっかくやるなら後悔無いように頑張ろうと思い、1日10時間前後は勉強し、早稲田大学商学部に入学しました。
そして、せっかく苦労して入った大学なので、決して無為に遊ばず、ここはひとつ勉強をしっかり頑張る決意で入学しました。そこで、柄にもなく早稲田大学雄弁会といった弁論部に入会したことが、現在の市議会議員といった仕事につながっております。まぐれかもしれませんが、弁論大会で優勝するなど、今では貴重な経験をさせてもらったと思います。

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現在は、銀行員を経て、浦安市議会議員を務めています。浦安市長選を手伝った縁で『浦安市議会議員選挙に出てみないか』と声をかけていただいて、本当に迷いましたが、若い世代の意見を政治に反映させるために挑戦しようと決心しました。そして東日本大震災が起こるといった異例な事態の中、選挙戦が行なわれました2011年の市議会議員選挙にて初当選させていただきました。以来、3期12年にわたり市議会議員を務めさせていただいております。(2023年3月現在)
 浦安で、娘が生まれて以降は、子育てに奮闘するとともに、次世代により良い浦安を創っていきたいと、より一層思うようになりました。今と、そして次世代のために、より良い浦安をつくるべく、頑張って参ります!

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