東京都 教育再生会議の議事録

興味深かったので転載します。
会話体なので読みやすいです。
浦安の子達が世界に羽ばたくことを期待するものです。
途中でディズニーランドについて否定的に触れられたところがありますが、浦安市議として考えていくテーマかもしれません。どう意味づけをするのか。

教育再生・東京円卓会議
第2回会議録

テ ー マ「 科 学 技 術 と 教 育 」

日 時:平成24年2月14日(火) 14時~15時30分
場 所:東京都庁第一本庁舎7階特別応接室
参加者:石原 慎太郎 (東京都知事)
猪瀬 直樹 (東京都副知事)
川口 淳一郎 (宇宙航空研究開発機構教授)
ピーター・フランクル(数学者)

教育再生・東京円卓会議(第2回)会議録
石原:理科系の人間をどうやって育てるかでね、今日はいろいろ。私はね、新しい教育制度をつくれと言っているんですよ、国にも。それは、高校を卒業した年齢で、2年間、兵役ってわけにはいかない、警察か消防に行って集団生活させないと、このごろの若い子は本当にだめになっている。ところが、それを言うとね、今、首都大学東京の学長をしている原島さんなんかは、「インジェネラル(一般論)としてはわかるけどね、その高校を卒業するぐらいの年齢のときが一番理科系の人間というのはひらめきができてきて創造力ができてくるので、それを2年間集団の中で埋没させるのはとても惜しいんです」と言うから、そういうのは検定か何かやってね。昔は、学徒兵なんかだって、理科系の人間は、戦争中、免除されていましたよね。だから、考えたらいいと思うんですけどね。でも、僕は、捨てたものじゃないと思うんですよ。だって、数学者の藤原正彦さんが言ったけど、2000 年以後の理科系の自然科学系のノーベル賞の受賞者というのはヨーロッパ全体と日本と同じなんですよね。それで、文学賞と平和賞は、オバマみたいにね「Yes, we can」と言ってスラッと新しい責任者が来て、そんなのがノーベル賞をもらっちゃうんだから。それから、文学賞もいい加減だな。それから、経済学賞もいい加減ですね。でも、理科系だったら非常に精度が高いと思うんです。それがこれだけの受賞者を出しているということは、隣の島だってインドだって1人もいませんからね、とても大事なことだと思うんですけどね。でも、やっぱり、それでも要するに日本の若い人の水準は下がってきました?
川口:そうですね、私は大学院生からしか教えないので、わからないですけど、いわゆる学力という意味では落ちていると思いますね。それでも、私が教えているのは東大の学生なので、そういう意味では、そこそこに皆さん、そういう優秀な人ではあるんですけど、問題の捉え方とかが非常に浅いというか、そういうことは少し危機感としては持っていますね。
ピーター:知事がおっしゃったノーベル賞の数ですけれども、それはいろんな数え方がありますから、実際は、日本人でも、例えば利根川先生がノーベル賞を受賞しましたけれども、ずっとスイスで研究して、そしてMIT(マサチューセッツ工科大学)に所属しているから、だから、ヨーロッパ生まれの人の数で言うと、またヨーロッパに住んでいる人の数で言うと、また違ってくると思います。そして、残念ながらというか、ノーベル賞を受賞するのは大体60 歳とか70 歳とかそんな年齢になりますから、今の人たちが40 年後にノーベル賞をもらえるかどうか、それは大きな問題です。でも、先ほど兵役とおっしゃっていましたが、確かに、旧ソ連とか僕が生まれたハンガリーでも、大体、当時は国立大学ばかりで、入る人もわずかですが、その人たちはやっぱり免除されましたね。そうじゃない人、一般の人にとっては、だらしない人が多くて、そういう人を何とか形にするためには兵役は役に立っていると。よく言われるのは、韓国の男性もそれによってかなりしっかりしている人が多いと。

猪瀬:大学に行った人は兵役を免除されたということですか。
ピーター:はい、そうです。夏休みや何かに1カ月間とか行ってちょっと訓練するとか、そういうものもありましたけれども、でも、普通の人が行くような兵役ではなかったですね。
猪瀬:前提として、今、短く説明しますが、この表は「理数学力の推移」といって、下のほうに結論が出ていますが、「数学的リテラシーの順位が1位から9位に低下」と、「科学的リテラシーの順位が2位から5位に低下」と、とりあえず、こういうデータが。PISA(国際的な学習到達度調査)テストにおける各国との比較で日本はかつて良かったんだけど、この数年どんどん落ちてきている。それから、2ページ目ですけれども、「若者の理数志向」は、この紫の部分が理科の勉強が楽しいと答えた生徒の割合、アメリカ、シンガポール、その他国際平均から見て低いと。どうも日本人は、理数系が強かったというふうに思われているけれども、どんどん理数志向が減っている。それから、次のページですが、「工学系学部の志願者数の推移」と、これもこの20 年ぐらいで志願者がこんなに減っちゃっています。文科系に行くと遊んでいられるけれども、工学部に行くとちゃんと実験をやらないと卒業できないから大変だとか、いろいろあるでしょうが、そういうことでそういう志願者数が減っているという数字があります。それから、次のページ、青と赤の線があるページですが、学生の数はこれだけ増えているけれども、理工系の数、下の赤いほうはずっと横ばいである。だから、比率は下がっているということであります。次、めくります。「科学技術の国際比較」、一番下で、「世界のインパクトの高い論文への関与度」では、日本は4位から7位に低下しているということです。次のページですけれども、「若者の海外志向」は弱まっている。今日、先生お二人とも理科系の先生ということで、我々の理科系教育の立て直しの話をお願いします。それからもう一つ、今、手元に僕のところにあるんですが、子供に、小学生に万歩計をつけてみたら、どんどんどんどん万歩計の数字が減っている。子供というのは好奇心だから、その辺やたらに動き回っているのが子供ですよね。万歩計をつけたら、おもしろい研究だけど、万歩計の数がどんどん減っているわけですね。我々は健康のために無理やり万歩計をつけて歩いたりしますけれども、子供というのはほうっておいても動いているわけですから、それが減っているということで、これは生態学的にまずいなというふうにちょっと思いますけれども。そういうことを含めて、この教育再生・東京円卓会議というものを始めまして、ある意味では、教育委員会というものは月に2回ぐらい開いているけれども、それとは異なった角度から、皆さんのような最先端でおやりになっている方々に、その都度テーマを決めてお話を聞いて、役立たせていただきたいということであります。

石原:でも、今日は別に特に理科系の勉学に限らず、先生はそれをベースにしてらっしゃるので、日本の教育全体の批判をしていただきたいと思うんです。数学・理科が苦手だという人も多いけれども、好きだという人も沢山いるわけですから。数学というのは頭のトレーニングにはなりますよね。
川口:そうですね、科学も理科もそうですけど、論理的な思考というんですか、そういうトレーニングになるんじゃないかと思いますけどね。
石原:論理的な思考というのは、僕なんか長編小説を書いているから、何というんでしょう、もっとそれ以前の勘というんですか、物事をずっと複合的に重層的に組み立てていくときの「この辺にちょっと伏線をつけておこう」とか「まだ早いな」とか、長編小説を書いているとそういうことを考えるんですよ。それは要するに何の能力かなと。やっぱり、数学をやった、そういうトレーニングの世界じゃないかなと思うんですけどね。
川口:おっしゃるとおりですね。私は、理数系というか、もともとそういう方面なので、ただ、例えば、「はやぶさ」の映画にもあるんですけど、国際交渉でいろいろ駆け引きがあるんですよね。その駆け引きなんかは、ある意味の論理的な考え方というか、今おっしゃられたんですけど、「今このタイミングでこういう話をすると具合が悪い」とか「少しこれは置いておいて」とか、そういう準備をするということは、結局、数学的というか科学的思考だと思いますよね。
石原:数学というよりは科学的ですよね。
川口:はい。
ピーター:結局、数学の問題を解くのは、当然、3足す8は幾つかとかそういうような問題もありますけれども、ちゃんとした問題を解くときには、やっぱり、戦略を立てないといけないですね。大体、まずこれをやって、これをやって、これをやって、それでうまく組み立てる、そういうところは、例えば、自分の人生に関する政策を立てるとか長編小説を書くとか、そういうものにも非常に似ているものがあると思いますね。ところが、二次方程式が必要か必要ないのかとか、基本的には、もともと数学教育は、日本だけではなく全世界で、やっぱり、エンジニアに向けたものですね。昔、まだ計算尺を動かして、現場でこの三角形の面積はどうなのかとか、今は世の中が大きく変わって、現場に出たらみんな計算機があって、面積なんて計算しないし、五次方程式とか十一次方程式でもコンピューターに打ち込めばすぐ大体の答えが出てきますし、だから、今の内容がどこまで合っているかどうか、それは疑問があるんですよね。つまり、本当に三角関数をどこまで教える必要があるのかとか二次方程式の解とか円周率は3.14 であるのか3.14159 であるのか、そ
ういうようなものではない。実際は、知事がおっしゃっているとおり、いろんなものを考えている難しい場面に自分が置かれたときに何とか戦略を思い出せる、そのための数学教育。僕が日本に来て一番日本で感動したのは、それはまさに、このグラフが始まる1990 年ごろ、この都庁が建ったころなんですけれども。
猪瀬:グラフがいいときね。
ピーター:はい。そのときは、日本は中学入試問題でかなり日本中が盛り上がっていて、テレビで「平成教育委員会」という番組が始まったころでもあって、やっぱり、中学入試問題、そのレベルが全員に必要なものなんですね。方程式を立てずに、ただ論理的に考えて解くという、そういうような問題であったりして、理科の問題も、多少知識は要るけれども、論理的に考えて、僕が覚えている問題でも、「満月の月は、4つの方向、南北東西、どこに見えているんですか」とか、ちょっとでも考えれば、頭の中には、地球があって、月があってとか太陽があって、南の空に見えるということがわかるでしょう。当時は、小学校は世界で間違いなく一番しっかりしていました。だから、このPISA の比較でも、小学校では理科でも数学でも1位、2位というところについたんですよね。
猪瀬:そうすると、ピーター・フランクルさんが来て、初め来たときには非常によかった。どこからおかしくなってきたというか。
ピーター:変な話ですけど、僕が一つ大きなものと思っているのは、オウム事件がありました。オウム事件のころには、これを理数系の人たちがやったと。
猪瀬:そうでしたね。
ピーター:だから、マスコミは、どこかで理数系に対してはかなり否定的になったというような。
石原:そうですかね。
川口:余り関係ないと思いますけどね。
ピーター:僕個人としては、前は大体「私は余り数学がわからないから、ゆっくり話してください」と言うところが、この過去10 年は、記者は「数学全然わからない」と堂々と言うようになりました。恥ずかしくなくなったというように僕は感じていましてね。
猪瀬:理数系が嫌われたということはちょっと置いておいて、オウム事件は、みんな理数系の人、確かに随分あそこに入りこんじゃいましたね。
川口:理数系の人は、論理的というか非論理的かもしれませんけど、ある種のそういう呪縛にかかりやすいんですよね。こう言われてしまうと、だんだんそう思ってしまうという、追い込まれやすいタイプだと思うんですよね。
石原:それは情念とも関わりがありますか。
川口:そうですよね。
ピーター:結局、僕は数学者ですから数学で言うと、どの集団の中でも、100 人の中に1人ぐらいは引っ張れば入ってくるような人がいるんですよ。そのオウム真理教はコンピューターの生産でお金を稼いでいるから、そもそも、そういう人たちをねらって人が入れられたということの方が大きいんじゃないかと。
猪瀬:サイドビジネスはそれをやっていたんですね。
川口:数学とかリテラシーというのは、僕はある程度、気にしなくていいんじゃないかと思うんですよね。落ちてくるのは、時代をずっと考えれば、高度成長期というか、そういう時代からの転換ですよね。やっぱり、物を競い合って効率的に何かを進めようという文化をもたらすと、結果としてリテラシーに集中するようになる。例えば、二次方程式の答えの求め方はこの公式を入れればいいというのは、まさにリテラシーそのものですね。でも、それがわかったら速く答えがわかることには違いないけれど、実は、例えば、僕はこう言うんですよね。「二次方程式の答えって、別に公式がわからなくてもいい」、例えば、「この四角に数字を入れて答えを求めよ」と言ったら、例えば、本当は答えが2だとしますね。だけど、わからないから2.1 を入れてみたら近かった。それでいいんですよね。学校はそういうことを教えない。それは公式に当てはめてきっちり2.0 でなきゃいけないと教えるけど、本は、例えば、常に大体この答えだということが必ず導けるのだったら、それはそれでいいんですね。リテラシーをというか、数学というかHow ということをずっと学ばせ続けているんですね、大学が終わるまで。教育とはそういうものだと。
猪瀬:目の子でこのくらいということがわかるかどうかという。
川口:常にそれが目の子で言えるんだったら、それはそれでOK なんですね。
ピーター:それも一種のリテラシーですよ。
石原:日本語で言うと何て言うんですか、リテラシーって。
川口:読み書きそろばんですね。
石原:もうちょっと簡略に。
ピーター:基礎知識かな。
猪瀬:π(パイ)が3.14 であるということは、言葉と一緒で、基本的なことを知っていればいいというだけのことですよね。
川口:だけのことですね。
石原:でも、基礎知識というけど、二次方程式の根に当てはめたら簡単に解けるでしょう。
川口:ええ、方程式の公式で。
石原:僕、一回、根を忘れて間違ったら、要するに全部、二次方程式の試験で0点取ったことがあるんですよ。ですから、根そのものは、やっぱり、一種の絶対的なメジャースティックみたいな形で丸覚え、丸暗記しなきゃいけないんでしょうね。
ピーター:だから、それに関しては、本当に国々で違うんですよね。僕が生まれた国ハンガリーでは、物理と数学の学校に行ったら、すべての公式が入っている小さい冊子がありまして、それをいつも携帯してよかったんです。だから、二次方程式の公式を忘れたならば、それを見て当てはめればいい。だから、そろそろ日本でも、試験の現場には何か小さいものを持っていく。
川口:それはそのとおりですよね。私、講演でもよく言わせていただいているんですけど、センター試験を全部、辞書も参考書も何を持ってきてもいいと言ったら教育は変わると思いますよ。
石原:なるほどね。
猪瀬:そうだね。覚えたものを吐き出すんじゃなくて、その応用問題をやればいいわけですからね。
川口:例えば英語の試験があって、これは実際の話なんですけど、「長文を訳しなさい」、1カ所わからない単語があると、それでバツになって、その人の人生が変わるのはとんでもないって。だって、実社会に出れば、それは辞書を引けばわかることですよ。一瞬引けばいいだけ。歴史だってそうですよね。すべての経緯を覚えている必要はなくて、大体、ボリュームが10 巻ぐらいあったら、この辺のこのページにはこれが書いてあったということが頭でわかっていれば。
石原:それはありがたいな。それはいい提言だな。そうすると、知識の幅もね、教養も広がってきますよね。
川口:そうなんですよね。だから、効率のよさというか要領のよさというか、生き字引にいかに近いかということだけを問い直しているだけで、本当は教育ってそうじゃないんですよね。教育というか人材育成というのは、もっとクリエイティブなことを発揮する能力を試すべきだし。
猪瀬:さっきの「目の子でわかればいいんだ」というところが大事なわけですよね。
川口:僕はそう思いますね。
猪瀬:僕も全くよくわかるんですが、π(パイ)が3.14 だというときに、この間、小学校で、ゆとり教育で、3でいいってやったんですね。これは、ある意味、非常に高度な、川口先生の考え方では3でいいわけですよ。ところが、3.14 というふうに覚えなくなっちゃったわけね。だから、そこがゆとり教育でジレンマなんだと思うんだよね。目の子で3でいいとわかればいろいろな物の考え方ができるんだけれども、じゃあ、3でいいかというと、やっぱり、基本的な単語は知っているよなというようなことにもなるから、その辺が。
川口:歴史の年号と同じかなと思うんですけどね。3.142 とかって覚える必要はないわけですね。3.幾つだったろうかということは引けばわかる。3つぐらい数字は覚えてほしいですけどね。ただ、そのときに、例えば、頭で大ざっぱな面積を計算しようとすると、3で計算しますよね、頭の中では。どんな科学者だってそうなんです。
猪瀬:坪でも、3.3 平米って、大体3でちょっと増やすぐらいでいいやと思っているよね。
川口:そうなんです。大体そんな感じで考えるわけで、だから、本当の正確な値というのは覚えている必要は本当はない。ただし、最初から3.0 だと教えたら間違いなわけですけどね。
猪瀬:そうですよね。余りがあるということを教えればいいんだよね。
ピーター:そのころの国民の反応といいますか、「自分たちは昔これを覚えなければならなかった。これからそれを覚えなくていいというところには危機感を感じた」とか「じゃあ、おれの息子は僕よりばかになるのか」、そういうような気持ちがありました。話が盛り上がったのは、今、猪瀬さんがおっしゃったπ(パイ)3.14 とあと台形の面積、その公式を教えるのか教えないのか。それだって、台形を2つ合わせると平行四辺形になるから、別にわからなくても、すぐ引き出せるような公式だし。
猪瀬:日本では、それを教えるか教えないかになっちゃったんだよね。つまり、だから、「3.14というより3ぐらいでいいんだ。ただし、割り切れないものがあるんだよ」というふうに教えればよかったのに、「3でいいよ」とやっちゃったのがゆとり教育なんだよね。
川口:そうですね。ちょっとその間にジャンプがありますよね。
石原:僕、自分の数学に関する不思議な疑問というのかな、恐らく数学における思考と情念の関係だと思うんだけど、僕は代数が大嫌いだったんですよ。微分積分、好きじゃなかったけど、幾何は大好きでね、幾何はとても天才的にできたの、全部100 点。それでね、あのころの幾何というのは補助線引いてできたんですよ。今はみんな数字なんですってね。
川口:そうなんですか。
石原:僕、それはわからないんだな。幾何というのは、つまり、要するに、視覚的にイメージとして物が見えてくるから楽しかったんだけど、今、数字だけで計算で幾何をやるというのは、僕、ちょっと想像がつかないんだけど、補助線も数字で引くんですか。先生なんかが詳しいでしょう、それは。
ピーター:いいえ、それは数字で引くことはできません。多分日本で歴代一番、世界的に大数学者だった小平先生は、広中先生と同じように彼もフィールズ賞を受賞して、彼も一生懸命、幾何学にはちゃんと補助線というかそういうような純粋な考え方で解ける問題を高校でも残すようにずっと生前頑張っていらっしゃいました。やっぱり、補助線を、思いつくか思いつかないのかとか、とても大切なことなんですけれども、問題なのは、当時の石原君は問題が解けた、でも、学校の9割の子はみんな0点となると、やっぱり困りますよね。だから、補助線がなくても普通の式で解ける問題も試験などに入れないと、0点を取る人の数が増えるんですよね。
猪瀬:補助線はひらめいた人しかできないから、ひらめかない人用のやつを用意しておかなきゃいけないわけですか。
ピーター:はい、そうです。
石原:あれも、やっぱり、小説の創作と同質のひらめきというのか、大脳生理学的に。でも、僕は情念的なものだと思うんですね。岡潔さんが、僕はよく知らないけど、有名な数学者が残した難問というのを1年ぐらいでとんとんと解いちゃった。「何で解けたんですか」と言ったら「芭蕉を研究した」と言うんですね。芭蕉の「奥の細道」の同じ月に同じところに行って、例えば、山形の有名な山寺で、「静けさや岩にしみいる蝉の声」、それを同じ裏庭で聞いた。それをやって、それで全部解けたんだということを、僕が岡さんと対談したとき、そのときは知らなかった。亡くなっちゃったので、この間、藤原正彦さんという数学者から聞いたんです。それはいい話でね、つまり、情念というものが研ぎ澄まされると論理的なひらめきも出てくる。これは大脳生理の問題ですよ。だから、大事なことは、理科系だろうと文科系だろうと、ひらめかないやつが多くなった。特に一番のその象徴は役人ですよ。特に国の役人はだめ、ひらめかないね。
川口:それは、教えられて育っているというか試験で通っているという人たちですね。おっしゃるように、何代にもわたって教え続けられて積み重なってきた伝統なのか悪しき慣習なのか知りませんけど。
石原:それを彼らは、「我々の取り柄はコンティニュイティーとコンシステンシーです」と言うんですよ。この時代に継続性と一貫性なんてそんなものをプラスにしたらばかみたいなもので、「おまえら化石になっていくぞ」と言っているんだけど、東京都の役人は、まだ現場があるからましですけど、国の役人はだめ。同じことで会議をすると、こんなに書類を積む、目の前に。僕は紙2~3枚なんですよ。あれはおかしいね。
川口:リテラシーはそれの積み上げというのは、だから、さっき言ったように、いかにそらで覚えられるかみたいなところを試しているようなものであるとすると、それこそが教育だと思ってしまうと、それがどんどん幾代にわたって重なっちゃいますよね。なかなか取り消しもできない。取り消しというのは、つまり改革もできなくなってしまうという大きな問題ですね。
猪瀬:川口先生がおっしゃったことは「センター入試で別に辞書を入れてもいいよ」ということですが、実は、その採点をできる人がいないんですね、今。何代前からずっと、つまり、そういうテストの採点しかしたことがない人たちが採点をするわけですから、だから、そこは変えていかなきゃいけないんだけど。
川口:持ち込んでいい試験もありますよね。例えば、持ち込んでいい試験で全部取ったとしても、例えば7割しかあげないということですよね、私が言いたいのは。実は、もっと3割は違うもので評価をするべきだと思うんです。
猪瀬:違うものを評価できる採点が余りないということなのね。
川口:例えば、芸術系の学校は、試験は3日間ぐらいかけて、創作能力というか、その芸術系の大学にとっては創作する能力そのものが大事なんですよね。単なる筆記試験の問題は余り重要でない。それは、創作能力を時間をかけて評価して引き出せるようにしている。例えば、センター試験はそうなんですけど、いい悪いはいろいろありますけど、AO 入試のように、例えば、「高校3年間で私はこういうことができました」「ボランティア活動に何回行きました」というものでもいいですよね。そういうことを、例えば、「自分のやったことはこういうことだ」、そういうプレゼンをさせて、それを評価するとか、筆記試験で回答できる範囲でやると、単に効率がいいか要領のいい人しかでき上がらないんですよね。そうじゃだめだと。
猪瀬:そういう秀才ばかり作っちゃったわけだね。
川口:どんどん。しかも、センター入試というものが抜本的に変わればいいですけど、ただ、今の状況だったら、高校の段階で試験の持ち込み可というふうにやってしまうと、センター入試に受からなくなっちゃいますからね。だから、それが阻んでいるんですよね。でも東京都は中高一貫校とかやっていますし、首都大学東京もありますから、実は、東京都だったら、中高大と一貫してやれるのだったらできますよね。そういうふうに全部持ち込み可の試験というものを。
ピーター:実際に考えてみるとちょっと難しいと思いますけれども、中高大一緒にやったら、やっぱり、そこでも推薦入試が主になっているのですよね。推薦でエレベーター式で上がるという。今の日本の教育の一つの大きな問題は、逆に、試験がどうかこうかよりも、非常に推薦枠が増えてきました。やっぱり、子供の数が減って、大学は1つのお金を稼がなければならないという経済の単位ですから、どうしても早田刈りといいますか、どんどんどんどん生徒を取ろうとして、いろんなところと……。
猪瀬:いい子を取ろうということになるから、小学校からずっと。
川口:でも、僕は、エレベーターというかエスカレーターというか、途中に試験の関門を設けないということは、それはそれでいいと思いますよ。というのは、スティーブ・ジョブズだってビル・ゲイツだって、大学を終わっているわけではないんですよね。要するに、結局、大学までで何を教えられるかといったら、How しか教えていないんですよね。Whatを教えているわけではないんですよね。ツールのやり方だし、スキルだし、手順を教えているだけだ。
石原:それならいいけど、僕なんか何の役にも立たなかったな。
川口:例えば、スティーブ・ジョブズさんがそうですけれども、「大学に行っても役に立たない、要するに、やり方だけ教えられるだけだったら行く必要はない」と決めていた。要するに自分で考え出したわけですよね。そういうふうに考えつくんだったら、もう学校なんか行かなくていいのです。本当はそうだと思う。大学を終わって、ずっとHow を教えられてきて、さて、大学を卒業したときに、いきなり何か新しいクリエイティブなことをやってみろって言われても不可能なんですね。
猪瀬:わかります。
ピーター:大学はそんなに捨てたものでもないと思いますよ。例を挙げると、ビル・ゲイツは僕の友達は彼の先生でもあったんですけれども、一応ちゃんと一流の大学にきちんと入りもしたから。
川口:大学に入らなくてもいいんだとさえ思うんです。いきなりこんなことをやると日本で大混乱が起きるかもしれませんが、本当は何をして欲しいかといえば、それは、いかに大学を終わるまでにツールを沢山修得したかじゃないんですよね。会社だったらこの会社の新しい分野を切り拓いて欲しい、そういう人を求めている。日本全体にそれが欠けていると思うんですよね。そこを改革していかなければならないのであって、だから、リテラシーの順位は確かに重要ですけど。
猪瀬:1つは、慶応大学でも明治大学でも、下の付属校のほうからずっと上がっていく人はスッとそれで途中の関門がないから、それはそれで一つのいいことだという話があるということはある。それから、例えば、都立の小石川高校なんて割と有名な高校ですけど、今、中高一貫になったんですね。そういう意味じゃ、つまらない壁、途中の入試はなくなったほうがいいかもしれないということは、今、一つの動きとしてはありますよね。ただ、今、フランクルさんが言ったのは、それだとどんどんどんどん下のほうにエンクロージャーされて、小学校1年生から集め始めるというふうなことになってしまうということ。
ピーター:慶応大学で何年間か教えたことがあるんですけれども、優秀な生徒も大体エレベーター式で来たけれども、「この人はどうやって大学に入った」と思うぐらいの生徒もやっぱりそこから来たんですよね。だから、そのフィルターが全くないということが。
川口:フィルターが要るのかどうかはわかりませんけどね。
猪瀬:ダメをどうするかというより、いいのをどうするかということだな。
ピーター:本当にこれからノーベル賞を受賞しようとか考えると、やっぱり、できる子たちにどのように知的好奇心の餌を与えるのか。それが僕は一番大事で、まだ日本であまり解決していないものだと思っています。
川口:ノーベル賞を生むのに学校をというのは、ちょっと違うと思うんですよね。例えば、中高大一貫でやってもいいし、それで早く終わってリテラシーには見切りをつけるという学生が現れていいし、飛び級して早く終わらせてもいいんですよね。だから、その人たちがどんなにやりたいことがいっぱいあって、それをやれるチャンスがあるかということのほうが大事で。
石原:理科系とか文科系とか何でもいいので、知的好奇心というものをどうやって養成するかということとそれを阻害している薄手の情報の氾濫みたいなものをどうやって堰をつくって食いとめるかということは、なかなか大変な問題なんですね。社会全体の一つの動きみたいなものになっちゃって、それはそれで成り立っている経済もあるわけだから、それを絞るわけにもいかんでしょうしね。
ピーター:僕個人としては一番改革があったら嬉しいと思っているのは、中学高等学校で運動部と同等な文化部があることですね。運動部があっていいのです。特にあまり数学もできない人とか、小説も興味がない人は、野球やったり走ったり体鍛えたり、それによってグループに入って、上の人の言葉を聞くように、先輩後輩という関係になれるなど素晴らしいこともありますから。でも、やっぱり科学とか数学の才能持っている人とか、英語に非常に興味がある人には、やはりそういう部もどこかで大事にしないといけないですね。実際は、例えば東京の一番いい学校の開成中学校・高等学校では、物理学部とか化学部とか数学部とかジャグリング部とか、そういう部も普通の運動部と同じくらい大事にされています。でも、普通の地方をあちこち行ったりすると、おそらく長野高校もそうだと思いますが、生徒の大半はどうしても何か運動部に入らないといけないという状況になっていますよね。
猪瀬:そうか、みんなが等しく運動部に入るんじゃなくて、今の高校の物理部とかそういう部に、つまり、教室プラスアルファのところをもっとプラスしていいのだということ。ピーター:それこそ本当の文武両道だと思います。運動もすごく大事にしますし、でも、頭を使うものも大事にする。僕の生まれた国の雑誌も持ってきましたけれど、1894 年に創設された高校生向けの数学、そして途中から物理学の雑誌であって、沢山難しい、正にひらめきでしか解けないような問題が出たりして。生徒たちは全国から自分の先生に「お前は数学よくできるから挑戦してみろ」と。毎月何題かの問題を解いてその答えを送ったりして、そしてそれで一緒に競い合ったりして。
猪瀬:数学オリンピックみたいなもの。
ピーター:数学オリンピックだけだったら、例えば今日本でどういう状況になるかというと、1次予選に参加する人はわずか全国で1,500 人とか1,200 人とか。非常に少ないです。
石原:数学ってね、理科系の学問は化学とか物理学とかいろいろありますけれども、やはりそういうものの一番のファンダメンタルなものですか、数学っていうのは?
川口:数学は、一口で言うと、僕は数学科ではないのですけれども、本当は芸術なんですよね。高校で数学が得意な人が、たぶん大学に行くと愕然としたりするのはそこです。要するに、自分が数学をやってきたというのは大間違いだったということに大学に行って気付く。それは、高校で教えていることは手順があって、それを応用することのスキルだけを身に付けているだけなんです。本当の数学というのは、実は創作することなんですよね。
石原:そうらしいんだね。映画なんかを見ると。だけど全然僕はなんか「はあ」と思って。
猪瀬:フランクルさんは数学者だったからそうでしょう。
ピーター:はい。数学に関しては、世界歴史上屈指の数学者であるガウスが、ある科学の分野の、本当の科学と科学を計る尺度は、それは中に含まれている数学であると言いました。今のところで、20 世紀でずっと以前物理学は別だったけれども、やはり数学的物理学になったりとか、数学的生物学になったりして。ヒトゲノム解析は、それ半分は数学者たちがやっているものですよね。今は数学は確かに川口さんがおっしゃっている通りに、最先端の人たちが別に他のものをあまり考えないで自分たちがやっている難しい数学をやったりするんですけれども、どんどん数学は応用できるようになりました。宇宙はどう生まれたのかとか、ビッグバンとか、それはやはり非常に難しい代数幾何学的な話になって……。
川口:最初は物理が数学を引っ張ったんですね。天文学とかが数学を引っ張ったんですけれど、だんだん数学が新しい物理を解くカギになってきていることは確かです。ただ、数学というのは、さっき言いかけましたけれども、全く高校とか教育で教えて育てるものじゃないということです。教育を沢山ほどこしたから数学がうまくなるとか、優れた数学者が生まれるかというと、そんなことはない。もともと本人が持っている強い意気込みであり創作意欲であり、創造性が必要なんです。教育でリテラシーは身に付きます。でも、それでどうこうということで日本の新しい社会をつくれるかというとそうではない。
石原:理科的な人間というのは非常に曖昧な日本語的な表現で。理科的な人間というか、理科に非常に興味を持って、数学に限らず、化学やなんにしろね、とにかく私たちは文科と理科と変な識別をしていますけれども、少なくとも理科の学問に趣味的な興味を持つ人間を育てるのはどういうふうにしたらいいんですか?
川口:育てるにはですか?趣味的なというか、思考方向がそういうふうな子供を育てる方法ですか?さっきピーターさんもおっしゃったけれども、クイズ的な着想でしか解けないような問題はいろいろありますよね。インターネットを見れば全部書いているとか、そういうことになってしまうと、また全然意味がない。誰もが解けないような疑問を持てるかどうかだと思うんですね。解決のしようがないことに対してその人はどう取り組むかということですよ。
ちょっと数学とは離れるんですけれども、例えば、必ず良い夢を見る方法とか考えてみろと。「考えてみろ」と言っても答えはどこにもない。インターネットに書いているわけではない。じゃあその人はどう書くかといったら、その人なりにいろんなことが書けるだろうと。そういうことをすることで、創造性とはどういうものかが分かってくる。そういう教育をしていかないと駄目だと思うんです。
数学も理科も、例えばなんかに書いてあることを質問するのでは駄目で。昔から何世紀も前からこれが超難問と言われているような問題にはこういうものがあると。色分け問題とかいろいろありますよね。そういうものを出したって、ひょっとしたらそれは「解けないことが分かっている」とインターネットに書いていたり、インターネットを見ると「ここまで解けている」とか書いていたりする。調べたらもう駄目です。調べるということは、もうすでに完全にHow しか学べない姿勢になっていると思うのです。そうではなくて、解決されていてもかまわないんだけれども、例えば自分が考え付いた疑問を出すということですかね。それを評価してあげる。先生から見たらこんなものはずっと昔に解決されているんだけれども、その子自身が考え付いてそういう疑問にたどり着いたら、それは素晴らしいことなんで、そこを評価するとかです。
猪瀬:そのたどり着いた疑問って、すごいよく分かるんだけれども、なかなか周りの人は分からないから。
川口:なかなか評価するのは難しいですね。
ピーター:日本の教育はいいところも沢山あるんです。明治以降の日本は、例えば図画工作を非常に大事にしてきました。それから、手でいろんなものをやったりするから頭もよくなる。ほかの国に比べると、学校では沢山、折り紙をやったりとかいろんなものを作ったりするとか。日本に来たころ、理科というものに関しても、子供たちは確かにもっと関心があった。だから、そもそも悪かったからそれを改革しなければいけないというものではなく、結局このグラフで出てきた話のように、前よりはだいぶ関心が薄くなったのだと思う。それをどういうところからよくできるのかというところなんですよね。その一つは、子供たちのこういう好奇心は、インターネットでなんでも載っているのに、じゃあそれを探してみろといったら探せないですよね。だから、先生は結局そういう好奇心に餌を与えないといけないですよね。それはパズルだったりとか、実験を見て楽しいとか面白いとか。一時的には、化学実験の本が何十万部も売れたころもあったんですね。実験教室をやったりとか。そしてマスコミを通して、やはりそういう人たちに注目をしないといけないですよね。僕は個人としては、国民栄誉賞はなでしこジャパンがもらったけれども、どちらかというと川口先生にあげたほうが理科教育にとってはよかったのではないかと。同じように国民に大きな喜びを与えたものなんですけれども、どっちのほうが歴史的に残るかといったら、当然イトカワまで行ってそこから物質を持って帰ったことのほうが全世界にとって、人類にとっては大事なんですよね。サッカーは必ずどこかが優勝しますから。
だから、そういうようなところにもっと子供たちがふれあうチャンスを与えるのも大事なんです。例えば科学イベントとかいくらでもやれるんです。ところが今年とか去年を見ると、大震災の影響、東京電力そして全国の電力会社は、本来夏休みは、子供向けに科学教室とかそういうものをやってきたんです。一部は原子力を抱えているから、それでも大丈夫だということを宣伝するためでもあったけれども。当然今はそういうイベントは完全になくなっているんですね。別に原子力発電所で事故があったからといって、それで将来に科学とか物理とか工学が大事でないわけではないです。誰かがそれに代わって、もっとそういう様々なイベントをやればいいんです。それは小学校の場合には、様々な、例えば新宿区の算数コンテストとか、東京都の物理学コンテストとか、そういうようなものがすごくいいんです。またいいことには、日本には自由研究があります。自由研究には知事賞とかいろいろあるんですよね。それは自由にやっているから結構変なものなんですけれども。でも、もっと形にした、そういうような子供たちに自分の才能に気付けるチャンスを与えることが大事なんです。
川口:そういうふうにコンテストというような形もあるんでしょうけれども、僕は自由は自由でいいのかなと思うんです。さっき、「いつも楽しい夢を見る方法」とか言いましたけれども、もっとビジネスの現場でいくと、都庁でもそうかもしれませんけれども、例えば「局長にコピーを取らせる方法」とかね、それを考えろとかいうと、それは一筋縄ではいかないです。ものすごくいろんな策略を巡らせなければいけない。でも、どこにも解答は書いていない。そういうことを考えさせるというか、考える。それは自由ですよね。だから、さっき試験はなんでも持ち込んでやってもいいけれども、7割と言ったのは、残りの3割というのはそういうことを子供たちに考えさせて、例えばそれで集まったものを自分たちで発表し合うというような。先生が点数を付けるのはアンフェアなわけです。先生には分かりませんよね。先生はそういう教育を受けてきたわけではないですから。だから、逆に聞いている人たちがスコアを付ける、例えば生徒同士ですね。内容が間違っていてもいいわけです。全然間違えてもいい。でも、間違いを全員に説得力あるように説得できたら、プレゼンできたら、それは素晴らしい才能ですよね。それは高い点数を与えればいいのだと思う。よく言う言葉で「ディベートとプレゼンテーション」と言いますけれども、そういう形のプラスアルファーの部分を教育というか人材育成の場に持ってくるようなことをしなければ、検索して調べて調査して解答するということしかできなくなる。それでは行き詰ってしまうと思うんですね。
石原:理科系の優れた人間を育てるための、つまり小学校レベルの時の刷り込みみたいなものは何かないでしょうか。例えば九九算なんていうのは刷り込みですね。インドでは25かける25 まで。僕は、25 かける25 はお経みたいに、「門前の小僧習わぬ経を読み」と言うけれども、暗記するというのはとても大事なことでね、九九算はそうですがね。教育勅語ってあったんです、昔。「朕惟フニ……」あれでね。随分しかつめらしい日本語なので、我々にはよく分からないんですよ、小学生には。「一旦緩急アレバ義勇公ニ奉シ」、そうするとね、その元寇の役で戦う鎌倉武士の絵とか、軍威高揚していた孝女白菊の絵とか、それをくっつけると、なんとなくその堅苦しい日本語が分かって。あれが少なくともかつての戦前の日本人の道徳の教育の素地になっていましてね、教育じゃないな道徳に関する情念のね。それはとても深く染み込んでいたんですよ。だけどね、刷り込みというのは、僕はやはりいい刷り込みをするといいなと思うんですがね。理科系の人間を育てるのに、何か独特の刷り込みというのはないのでしょうかね。
川口:これはどうか分かりませんけれども、一つの子供を包む環境を作ってやるだけでいいのではないかと思うんですね、あれこれなんか言わなくても。私は、うちの父親がタイム・ライフの科学シリーズの写真集があって、字は読んでも分からないけれども、写真を見て面白がっていたんです。例えば小中高と全部合わせると12 年です。どこの家でもそうです。どこかの部屋とか壁に1つの写真が12 年間ずっと置かれているのを毎日見たとしたら、間違いなく影響を受けますよね。それは、直接それを目指さなくても、それに関連したことで多分目覚めていく。
石原:どんな写真?
川口:例えばロケットでもいいですね。例えばスポーツ選手だったら、サッカー選手の写真が貼ってある。それも12 年間張ってある。それは間違いなくそれに影響を受けると思う。
ピーター:そうですね。確かに日本の学校に行くと、先生の部屋に行くと、数学の先生のところには多面体、正十二面体とか正二十面体とかいろんなものが先生のところに置いてありますけれども。どちらかと言うと、川口先生がおっしゃっているように、学校の廊下に棚を置いて、その棚にはいろんなものが置いてある。僕が通っていた学校では、例えば様々な動物のはく製がそこに置いてあったりして、毎日「こういう動物はこうなのかな」とか見たり。日本には素晴らしい図鑑も沢山あるんですけれども、それを見る子供と見ない子供がいるから、それも場合によっては何十ページを月1回変えて壁に置いたりして。毎日その前を通ったりしてとか。暗記すること自体は脳の訓練になるのは間違いないです。
何も頭にない人は、ゼロから例えば英語のテキストを訳そうと思ってもできないです。
川口:もちろん、だから持ち込んでいいというのは、何もやらなくていいということにはならないわけですね。ほとんどのことは頭の中に入っていなければ解答もできないわけです。
猪瀬:見たって分からないからね。
川口:そうです。だから、ほんのわずか知らないことでその人がつまらない人生の選択を誤るというのはとんでもない話だなと思っているだけです。
猪瀬:さっきの、単語1個分からないだけという。パッと見ればそれで解決する。
川口:なんの問題もないです。
石原:僕なんか、大学の英語の試験の時にどうしても分からない単語が全体で3つぐらいあって。それは、ずーっと全体の按分からして多分こういう意味だろうと思ってそういう意味で書いたんですよ。もうちょっと幅を持たせてね、でも、正解じゃないけれども正解に近い。3つとも当たっていたので後で非常に嬉しかった。それはやはり一種の推理というか。非常にある意味では理科的な思考ですかな。
川口:そうですね。
ピーター:はい。推測する、推理するとか。だから英語の教育に関しても、一番大事なのは正にそういう読解能力だと思います、今の時代に。日本人はなんで英語話せないというんですけれども、本当に科学の上で今一番大事なのは、外国の文献などをちゃんと読んで理解できて、そして向こうの人と基本的には電子メールを書いて、それで交流するんですよね。
川口:それは別に、例えば大学のセンター入試がいいかどうかって関係ないんですよね。そういう分野でやるとなれば、必要に迫られてやることであって。それに、分からない単語は引けばいいし。
猪瀬:リテラシーというのはそういうことか。今の、写真が部屋に貼ってあったりとか、あるいは教育勅語じゃなくても芭蕉の句が床の間に書いてあったりとか、折り紙をやったりする。そういうものが普段からあるとか。そういう基本的な、それで読み書き、そろばんみたいな。まず基本的な道具とか環境とかイメージとか、まずは基本で、教育勅語じゃないけど自然に入ってくるような、有名な詩とか俳句とか短歌とか、何か絵とか、そういったものを毎日見ているような場所というのが家の中にあるかどうかだな。
川口:そうですね。家もそうですし、学校もそうですね。
猪瀬:学校ね。それは基本的にはやっているといえばやっている。
川口:やっているといえばやっているんです。でも、もっと積極的に考えてもいいのかなと。無理やりそういうことをやれやれと言うよりもですよね。そんなことを100 回も200回も言うよりも、ずっとそこにあり続ける存在感というのはその人にとってはものすごく大きなものですよね。
石原:やっぱりそれを眺める子供、つまり学年の平均年齢の知数よりもちょっと上回るものを飾っておくべきですよ。
川口:そうですね。常にそうでなくてはいけないです。
石原:それに合わせてしまったらつまらんですね。
川口:ええ、おっしゃる通り。
ピーター:今は本当に映像の世界ですから、子供たちは非常に動画などを見るのも好きだから、例えば学校の給食の後の休みの時間で何かそういうような、例えば鉄鋼は今どう作っているのかとか、化学の色に関しては、実際分子が、今はすごいきれいな写真も撮れるから、どういうようにできているのかとか。そういうような映像を見せるのはとても簡単だと思うんです。
猪瀬:でも、それを学校で……さっき石原さんが言ったのは刷り込み的な話で。習慣の中に刷り込まれるようなものが発想とかにつながればいいという。
川口:完全につながると思いますね。
猪瀬:学校のところでいろんな映像を映したりするのは、多分ちゃんと見ていないと思うんだよね。
ピーター:みんなで見るならば面白い映像がいっぱいありますから。だからそれは勉強のための映像だと言われたら見ないですよ。
猪瀬:そうですね。
ピーター:生まれたばかりのカンガルーの赤ちゃんはどうやってママの袋の中に入ってミルク飲むのかとか、そういうような映像とか。
猪瀬:理科の授業ではないような映像ということだよね。
ピーター:はい。直接授業ではないけれども、それでもって人は関心を持てるという。もっとそれで家に帰って調べたいとか。
川口:インターネットはあまり僕は関心しないんですけれどもね。
猪瀬:答えを見ちゃうから駄目ですね。
川口:ええ、そうなんですよ。もちろんきっかけはそれでいいんですけれども。例えば学校に写真が置いてあればそれでいいというわけではないんですね。現場というか、実際の場を体験するということは、たぶん何よりも増してすごい影響力がある。宇宙関係で言えば、子供たちをロケットの打ち上げを見せに連れていくとかね。そういうことをすると、ものすごく影響を受けるはずなんですよね。
石原:それは絶対にそうでしょうね。
猪瀬:内之浦に修学旅行に行けばいいわけだね。
川口:たまたまロケットが上がってるといいですが(笑)。
猪瀬:あまりないからあれだけど。それは大きいと思うね。
川口:大きいと思います。
猪瀬:やはりテレビの映像でNASA の映像を見ているだけではピンとこないものね。
川口:ええ。全く違う世界として見ていますからね。
ピーター:本当に僕が昔からすごく嫌だと思ったのは、多くの全国の子供が東京に修学旅行に来て、そしてどこへ行くかというとディズニーランドなんです。ディズニーランドで何を学ぶんですか(笑)?「修学」というように書いているんですけれども。だから、修学旅行はやはりもっとうまく利用すべきでもあるし。僕個人としては、もう一つ昔から考えていて、自画自賛ですけれども、とても簡単で単純でいいと思っていることがあるんです。それは国内交換留学です。
猪瀬:国内交換?
ピーター:今は海外に行くとかいろいろな話もあるんですけれども、日本人が日本のことを知らないのはとても恥ずかしいじゃないですか。そして仕事に就いたらなかなか行かれないじゃないですか。でも、小学生の時とか中学生の時には、制度があったら、例えば東京の学校と鹿児島の種子島の学校とか、そういう関係があったら、旅費だけ出して2週間向こうの学校に通う。
石原:それはとてもいいアイデア。僕もちょっと考えたことがあるんですよ。ひと月ぐらい担任の先生と生徒と一緒になって行ったらいい。鹿児島の中学の1組と、北海道の中学の1年生の1組とが。
猪瀬:交換。
ピーター:本当にホームステイできるから。別の人と交流しないといけないし、その環境を見るし、日本のいろんな、こういうところが日本に本当にあるのかとか、違う生き方とか、違う方言とか、いろんなものに触れることができる。本当に旅費以外は何もかからないです。国内だから安全だし。
猪瀬:なるほどね。
川口:場所を変えるのもそうなんですけれども、さっきの現場というのはロケットもそうですね。自動車の組み立てのラインもそうですしね。そういう所っていっぱいあるんです。インターネットで検索するだけではなくて、そういう体験をするというのが、学校や家に写真やそういうものが置いてあるということをさらに進める大きな効果だろうと思うんですね。もちろん場所を変えるというのもある種の、違う文化に触れるといいますか。
ピーター:場所を変える。新しい子供が来たから、当然そこの親は週末になったらその辺のところに連れて行くんです。例えば、自動車工場でもいいし、博物館でもいいし、歴史遺産でもいいんですけれども。結局そこで1か月間住むということですよね。
猪瀬:前も東京の中のどこか山奥の山村の所に留学したのか、そういう例は。
川口:あるんですけど。
猪瀬:ちょっと行ったぐらいだろうな。
川口:山村は山村でいいと思います。例えば動物、植物に触れるというか、自然に触れる
のはもちろんそれでいいんですけど。
猪瀬:林間学校プラスアルファくらいですけどね。
川口:ええ。一方ではそうではなくて、例えば東京にもいっぱいあるんです。さっき言った自動車工場とかいっぱいあるんですよね。発電所だってそうですよね。そういうところがいっぱいあるんだけれども、意外にそういうところって現場に行かない。インターネットの世界やテレビの映像でしか見ていないですよね。
石原:この間の映画の有難かったのはね、東京の小零細企業の現場をちゃんと映してくれた、悲哀も映してくれたし、本当に助かったです。本当にみんなそれ分からないんだな。やはりあれでも物作るのはこうやってできるのかとかと、子供の関心度があったですよね。
川口:ありましたね。
石原:面白いですよ。大田区、品川は私の選挙区だったけど、江東のほうもいっぱいありますが。2人か3人が、私が知ってる岩井さんなんて、削りの日本一の名人なんですよ。奥さんが手を機械に挟まれてこっちはよく利かないので夫婦でやっている。何を削っているかといったら、原子炉の軸ですよ。旋削特許の孫請け。結局そういうところに下りてくるんです。あれは本当にねシャビーなこの部屋の2/3 ぐらいの工場で2人でやっているんですが、すごいですよ。
川口:あの映画の、お孫さんが旋盤を操作しますよね。あれはいいですよね。たかが旋盤という話ですけれども、実際に目の当たりにして興味を持った子供さんが手を触れてみるという、そういう興味を伸ばすということが出ていますよね。科学技術の原点みたいなもので。ああいうところを取り上げているのは大変いいですよね。あれ、実在の人物なんです、実は。
石原:あれはしかし、アメリカは垂涎の思いで眺めているだろうし。隣のシナは盗もうと思っているだろう。これから面白いね。
猪瀬:逆に言えば、今日本の理系の教育水準は非常に力が落ちていると言われるが、はやぶさの成功のポイントはなんだったのかと、振り返ってみて。そうすると、そこにまだ日本人の可能性があるわけですけれど。それは何だったのかということですね。成功というのは、失敗しかけたから成功しているという、そのギリギリの。
川口:スリルではなくてですね。
石原:あれ、僕は本当に久しぶりに見た最高のサスペンスドラマだったですよ。
川口:結果はそうですね。
ピーター:ハッピーエンドでよかったですね。
川口:そうですね。
石原:あれはイオンエンジンの関係者2人が対立するでしょう。あれもとても分かりやすくて。でも本当によかった。結局最後、渡辺謙君があなたの役ですか。ちょっとイメージが違うけれども(笑)。
川口:全然違いますから(笑)。
猪瀬:今、「ハッピーエンドでよかったですね」と言ったけれども、ハッピーエンドじゃないかも分からなかったんですよね。
川口:なでしこジャパンの優勝もそうなんですけれども、あれ準優勝でも価値は同じだと思うんです。そこのところ、日本人って非常にある意味で厳しい。自分に厳しいのかもしれませんけれども、そうではなくて、そこを見てあげなければいけませんよね。実際はほとんど変わらないはずなのに。
石原:いや、でもそうじゃないんじゃない?
川口:実際はですね(笑)。
石原:それはやはり、帰還するのと行方不明と決定的に違うし。スーパーコンピューター、「なんで2位じゃいけませんか?」なんて。それはやはり成功しなければ。
川口:おっしゃる通りです。
石原:しかも初めてのことですからね。
川口:さっきのご質問に戻ると、手前味噌なことで大変失礼なんですけれども、オリジナルということだと思うんです。どこかに手本や模範があったわけではないことがやれたことが一番大事かなと思っていまして。そういう意味で、さっき申し上げたようにリテラシー、ある意味の、効率のいい要領の良さというか、もの覚えということではなくて、範をたどる、トレースするということではないところをこれから磨いていかないと、近隣諸国と競争力を持とうといったって、同じようにプロダクションしていくだけだったら絶対に競争力の復活はないんですね。これからクリエイティブになることが一番大事だと。
石原:あの着想、発想というのは何がきっかけなんですか?やはりそこがとても面白かった。よい夢を見るのはどうしたらいいかというのと同じで、あれはやはり、とにかく手の届かないところへ行こうと。
川口:そうですね。
石原:それで、なんでイトカワにしたんですか?距離がちょうど手頃だから?
川口:あれは手の届かない一番手の届きそうな場所ということですね。
猪瀬:結果がすぐ出ないというのは、これは8年ぐらい、7年ですか?要は 2003 年から2011 年。
川口:飛んだのはそうですが、その前に7年間作っている期間がある(笑)。セミじゃないで
すけど。
猪瀬:だから7年余と7年余ですか。
川口:はい。15 年。
猪瀬:結果が出ない。結局途中ずっと。最後の最後まで出ない。ギリギリ最後に出た。帰ってきても砂があるのか分からないから、本当に最後の最後まで結果が出ないでしょう。その結果が出ないことをどう耐えられるかということですよね。つまり発想があるかないかというのは、発想というのは、結果がないから評価されないわけですよね。そこで、みんな評価されないから発想してもしょうがないと思ってしまうと思うんだけれども。
石原:そうでもないよ。発想の段階で評価されるものもあるよ。
猪瀬:この場合は7年と7年で、結果は途中で、だって、映画の中で川口さん役の渡辺謙さんが神様にお祈りしていたじゃない?分かるよね。結果出ないんだから(笑)。
川口:ただ、結果といっても、とにかくいろんな技術要素があるので、よく出ている加点法なんですよね。ですから、「いずれも欠けたら駄目だ」と言っているのではなくて、「いずれでも1ついいものがあればそれはプラスだ」という考え方ですよね。
猪瀬:なるほど。
川口:プラスが全部満たされれば500 と言っていますけれど、そんな考え方はあの時だけ、そういう評価をしてもらったかも知れません。政府はあの時はすばらしい評価をしたものだと思いますけどね。
石原:私はここで渡辺謙君と対談したんですよ。その時、彼はね、あなたを代表とする宇宙物理学者が衛星に関与できるというのは人生の中で、やっぱり3度が限界だと言ったけれど、そうでしょうね。
川口:ええ、そうですね。
石原:時間がかかるからね。
川口:ええ、一つのプロジェクトが大体10 年ですよね、はやぶさは長いんですけれども。
石原:火星で望みを絶ったのぞみはね(笑)あれは、やっぱり原因はわからないんですか?
川口:あれは原因は色々もう分かってまして、その成果があったからこそ、はやぶさというのは飛べたということですね。
石原:あれはどういう原因だったんですか?
川口:一つはやはり部品の故障ですね。故障する原因というのも、その経験、解析でわかっていますし、他に壊れたところはいろいろあるんですけれども、それらも原因がこうじゃないかということを結論されてはやぶさの設計はできているんですね。ですからのぞみは失敗なのではなくて、はやぶさを生むために必要だったものなんですね。
ピーター:うちもそうですけれども、今は同じ理科の分野で化学とか生物学とか、これらが21 世紀で一番発展すると言われていますね。そこに沢山の夢があるんですよね。手を失なった人が、元の細胞から、その手をまたのばすという再生医療も考えられていますし、子供たちに興味を持たせなければ、夢を持たせなければいけませんね。川口さんがアポロの着陸を見て、それで自分が宇宙学者になろうと思ったのと同じように、テレビなどで見ている映像で、子供たちが「俺は絶対ガンの薬を見つける」というように子供をさせなくてはいけないですよ。僕が思っている問題は、子供が今、一番誰に憧れているかというと、お笑い芸人かスポーツ選手なんですよね。
川口:あーお笑い芸人ですか、そうですか(笑)。
ピーター:だから、それを何か変えなくてはいけない。そのためには、やっぱりそういう映画とか番組とか新聞記事が必要。
猪瀬:ピーター・フランクルさんは、そもそも数学へのきっかけは何だったんですか?
ピーター:自分の父も母も医者で、子供にも医者になってもらいたかった。でも自分が住んでいた当時人口5万人の町で、小学校6年生のときに算数、数学のコンテストがあったんです。そこで1位になって、それで算数の面白い問題集を買って、自分で解いたりして、そして翌年は県のコンテストに優勝したとか、そして全国のコンテストで優勝したとか、ついに国際数学オリンピックにハンガリーの代表で金メダルを取ったとか、そういうようにコンテストを通して。自分は数学も物理も化学もオール5でしたが、それは田舎の小学校だから大したことはないです。その中でも数学は他のものより才能があると、気がついたんです。僕たちがやっている算数オリンピックでも、日本で優秀な若い研究者になっている長尾健太郎君という子がいるんですけれども、東京の子で。彼はやはり同じように、お父さんもお母さんも医者で、2人のお姉さんも医者になっています。本人も当然その道だったんですけれども、算数オリンピックで、そこではまだ1位でなかったけれどもメダルを取りました。その後は開成に入って、4年間連続で数学オリンピックに出場して、3回金メダルをとりまして、やはり自然に数学の方へ進んだんですよね。だから、数学の才能は、すごく早く現われることが多いです。十代でも立派なものを証明したりとか、大学の先生よりベテランになったりする。
猪瀬:ピアノやバイオリンと一緒だな、そういう意味では。早く出ますね。
川口:ああ、バイオリンもそうですね。
石原:皆さんとても大事な基本的にいいお話をしてくださっているけれどもね、一方ね、僕はホーキングに40 年ぐらい前に講演聞いたんですよ。その話をよくするんですが、その時ホーキングはもう筋ジストロフィーでね、コンピューター通して、自分の声が出ないので、話しました。内容はよく覚えていないですけれど、そのうち質問を許されてね、ある天文学の方の専門家でしょうな、「太陽系に限らず宇宙全体で、地球より文明の進んだ星が
いくらぐらいあると思いますか?」と言ったら、彼はすぐ「Two million.(200 万)」って言った。そしたら誰かがびっくりしてね「そんなに地球よりも優れている星があるだろうか。なぜ宇宙船で来ないんですか?」と言ったら、「いや、そんなものない。ダメだ」と。「地球ぐらい文明が進んでくると、自然の循環が悪くなって、そういうプラネットは宇宙時間で言うと瞬間的に消滅する、瞬間的に」と。それでみんなが愕然としていたところで、
私が挙手して「宇宙時間で瞬間的というのは地球時間では何年ですか?」と言ったら、彼はすぐ「100 年」と言いました。それから40 年経ちましたけど(笑)、今起こっている異常気象というのは、全部正常気象ですよ。あれだけ氷が溶けて流れ出たらツバルはもうほとんど沈みましたしね、それは海の水が増えれば蒸発する水も増えるし、それで降る雨も増えるわけでしょう。これは当たり前の気象になって来たのに、みんなは異常気象だと言う。環境問題というのは、ものすごくどの国も鈍感だし、しょうがないですね、これ。だから先生たちがやられた努力もね、あとどういう形で報われるかわからないけれどもね、本当に地球は生命体がなくなったら意味がないんだからね、本当に。
ピーター:それはわからないですよね。はやぶさだって、いつか地球にぶつかるというようにおっしゃいましたよね。
川口:あっイトカワですか。イトカワは1億年後ですかね。ただ1億年というと、人間という種が残っているかどうか怪しいですからね。もともと哺乳類が歩き始めたのが、せいぜい数千万年前の話ですので。
猪瀬:恐竜ぐらい前だな。
川口:それはいいんですけれども、別にはやぶさがやりたいから宇宙をやれというような短絡的な話ではなくて、いろんなことに刺激を受けた子供たちが、環境問題・エネルギー問題ということに取り組んでくれるような、そういう方向に向かえばいいんだと思うんですよね。そういうふうに向けることができたならということです。
石原:私はこの間、ペルーの何とか高原で6,000 メートルのところに、日本人も行ったね、天文台があるでしょう? あの映像を見たんですよ。それであそこに新しいプラネタリウムを作るために、その映像の写真を撮りに行った男が撮ってくるんですけど、彼が寝転がって、こう宇宙を眺めていると、もう銀河だって銀河だけじゃなしにガスまで見えるわけでさ、それでね、自分がそこに寝転がってみると、「全く宇宙そのものと向かい合っている感じがします」と言うから、いいなー、なるほどなーと思った。ああいう想像もつかない空間の中で、はやぶさは行って帰って来た。すばらしい快挙だし、それがねフルーツになって人類にもたらされる前に、やっぱり人間って生きてないかも知れませんね、下手をすると。
川口:ああ、そうですね。だから、もう今後の人類を支えるような人材を作らなきゃいけないという話なんだと思います。
猪瀬:実際に川口さんのところでは、このはやぶさプロジェクトは、失敗するかしないか何とかこうやって成功して、後継者とかそういう体制というのは、どういうふうに作られているんですか?
川口:一つには、人材育成と言うか、とにかく次の世代を作らなくてはいけませんし、その次の世代は必ず私を越えていかなければならないですよね。そうでなければ発展はないですから。変な言い方ですけれども、もうはやぶさの後継機では、私はアドバイザーでしかないと言うか、私はプロジェクトそのものには関わらないんです。次の世代が作っていくのです。けれど、一緒に同じプロジェクトを共同で行う、つまり伝承ですね、知識とか経験、技術を伝承するためには、共同作業をするべきと思います。親方徒弟っていうのですかね、そうでなければダメだと思うんです。単に何かドキュメントを書いて、それを読めばいいというものではなくて。
猪瀬:それは下町の工場の親父さんと同じだね。
石原:あなたたちのチームは、やっぱりどんどん後継者が育っているでしょう? 僕はそう思うな。
川口:ええ、お陰様でと言いますか。
石原:ねえ、絶対育っているよ。そう思った。
ピーター:後継者が育つという問題は、すごく大きいと思いますけれども、就職先が少ないですよね、今は。だから日本の優秀な、例えば東京大学で博士号をとった生徒たちが、じゃあ日本の大学で先生としての仕事を簡単に見つけられるか。
石原:大学そのものの教育がくだらないからね。
川口:ええ、大学も変わっていかなければならないと思いますね。
石原:本当に大学が変わらないとね。
ピーター:大学ではなくて研究所だと思いますよ。このPISA の調査で一番になったのはどこかと言うと上海なんですよね。中国全体ではなくて上海がもう圧倒的にトップになっています。中国を見てみると、中国は過去20 年でいっぱい新しい研究所を作りました。国のお金で物理学の研究所や数学の研究所、もちろん軍事のためでもいろいろあるでしょうけれども、そういう沢山の新しい就職先を作って、実際バークレー大学やスタンフォード大学から華僑の人が帰って来て、そこで所長をやったり教授をやったりしています。日本の場合には理数に進んで優秀な若者は、大体どうしているのか。先ほど僕が話したすごい天才の長尾君の場合は、彼は30 を越えているけれども、やっぱりJSPS 日本学術振興会の奨学金を何とかもらって、それでまたすごく優秀なので別の奨学金をもらったりする。
猪瀬:どこか行ってないの?
ピーター:京都大学で研究しています。
猪瀬:京都大学の先生?
ピーター:先生ではないですよ。奨学金をもらって研究しているんです。
猪瀬:ああ、ポストがないということですか。
ピーター:日本の学校はポストがないです。それは、例えばアメリカを見ても、文学ではなかなかポストがないです。でも、数学や物理では今ポストが増えてるんですよ。
川口:大学を変えていかなきゃいけないと思うのは、今の大学というのは結局大学を卒業したって学歴を格付けているだけですよね。単位を取りました、という証明を与えるだけ。そんな大学だったらポストは増えないですよ。変わっていかなきゃいけないと思う。大学が産業や技術界から頼られるパートナーになるとかです。大学の研究者が自分の論文を書くために就職していると思ったら大間違いです。
石原:だけど本当にはやぶさのようなプロジェクトみたいに、あんなに胸ときめく目的というのは、この国にないんですよ、他に。
川口:いや。
石原:それは本当、あなた方がああやって立証してくれたから、それは絶対に要するにあなたのチームは、その後継者は絶対事欠かないと思うけれども、その他は本当にわからないと思う。夢がないものね。
川口:ええ、はやぶさだけのことではなくて、例えば大学が一つの研究を請け負う一つの企業として存在するという価値が持てるんだったら、そのポストなんかいくらでも増えますよね。そうなっていないというのは、いろんな理由があると思うんです。例えば、最近は大学発のベンチャーとか起業とかいろいろな制度は作っているけれども、実際まだまだだと思うんですね。それから、アメリカの私立の大学で多いですけれども、自分で給料を稼げ、なんですよ。例えば自分の給料の4分の1ぐらいは自分で稼げと。それでコントラクトをとらせて、大学はピンハネする。ピンハネするのは良いわけではないですが、大学が要するに企業になっている、コントラクトをとってくるという活動を含めてですね。
猪瀬:例えば、慶応大学の教授になる人って、自分の稼ぎ分を持って来いというケースが結構ありますね。
川口:ええ、そうなんですよ。それで、だから大学が国立大学法人であって大学が、その税金で給料がまかなえてポストが増えないと言っているのは、どうかしているというわけです。ですから、そこを全然変えていかなければいけない。技術者が例えば、産業界もそうですけれども、もっと交流というか、技術者がどんどん請われていろんなところに転職するような、そういうメカニズムがないと、技術者の待遇改善にならないですよね。大学で学ぶべきことは非常に多いんだけれども、就職してしまうと、何の役にもたたなくなってしまうとしたら、もう誰も大学に行こうとは思わない。だからその辺の社会全体の構造もそうですし、大学の在り方そのものを変えていかなければならないと思います。
猪瀬:大学がね、日本の場合、ちょっと固定化され過ぎてしまってシャッフルされてないから。例えばハーバード大学では、教授はハーバード出身ではない人が半分というルールがあるようですね。50%はハーバードではない人。東京大学か何かは、たぶん95%~98%ぐらいは自分のところ出身でしょう。
川口:ああ、そうですね、自分のところでまかなっている人が多いですね。
猪瀬:ですから、半分を変えるというのは血流が変わってくるわけですから、発想もやっぱり変わってくるわけですよね。
川口:ああ、変わると思いますよ、ええ。
猪瀬:だから、そういうところが何か日本の場合は、タコツボ化してちょっと違ってしまっていると思います。
ピーター:でもアメリカの例えばハーバード大学でも、MITでも、基本的にはアメリカのNational Science Foundation、NSFというのがありまして、国の科学ファンド、そこでどこの大学からでも誰でも応募できるんですよね。それは非常によくできた制度で。そこで自分のプロジェクトが求められたら、何年間かかなりの金額のお金をもらって、自分がそれを企業との関係とか、直接そういうものとは関係なく、その研究を何年か続けられるんですよね。だから、どこからかやっぱりお金が必要ですよね、大学は経済単位ですから。そこでは日本ではまだあまり聞かないですけれども、アメリカではビル・ゲイツとか、例えばマイクロソフトはすごく立派な研究所を持っているんですよね。
猪瀬:その通りです。
ピーター:また大学にお金をあげて、大学はそこで誰々の名前の研究所を作っているんですよね。
猪瀬:それは税制の問題がありますから、日本は財務省に集めてからみんな配るからね。寄付をそのまま直接渡せるようになれば、もっと違う形になるんだと思います。
石原:はやぶさの成功というのは、ものすごくいろんな幅のある可能性を示したんだけどね、それを何かワイドな視野で評価する発想力というのが、日本にはないんですよ。僕なんか、ある人に言わせればけしからんことを考えるというふうに言われるかも知れないけれども、これは先生方のスタッフの問題ではなくて、それを取り巻く政治家なり、それに影響できる官僚たちの圧力の問題だと思います。それがこの国にはないです。だから、はやぶさは下手をすると、非常に孤独ですばらしい成功のまま、「じゃあ何のために俺たちはやったんだろうか?」という形になって終わりかねない。それはやっぱり発想力の問題なんですよ。
川口:それは避けたいですよね。是非何らかの形でね。
猪瀬:これは成功して次の予算は増えたんですか?
川口:いや増えていないどころか、内示で要求額の半額になっちゃったんです。
猪瀬:増えてないの? え、半分になっちゃったの?
川口:政策仕分けですけどね、ええ。
猪瀬:うん、あれで半分に減らされちゃったの?
川口:来年度の内示は、だから予算要求額の半額なんですよね。
猪瀬:あ、そうなの?内示が?
川口:だから、ええ。
猪瀬:その世の中の影響というか、これをやって、これだけ「はやぶさ」だけで映画も3つも出来ていて、そういうのを反映しないの、全然?
川口:全然反映してないですよ、ええ。
猪瀬:反映してないんですか。
石原:あ、そう。半額?
川口:アメリカは逆なんですよ。NASA は去年の5月ですけどNASA 版のはやぶさプロジェクトを発表しましたよね。それは、はやぶさ、はやぶさ2に次いで3番目という、世界で3番目というのはアメリカは絶対避けることですけどね。プライドを捨てて、しかも、はやぶさ2の4倍の予算でプロジェクトを立ち上げたんです。で日本はとなると、じゃあ今度は予算半減だよと(笑)。
猪瀬:来年の4月から半額ということ?
川口:4月からの予算は昨年と同額になっちゃった。
猪瀬:ああ、そう。ひどいなぁ。
川口:もうひどい、すごい話で。
猪瀬:それははやぶさプロジェクトについて?
川口:はやぶさ2ですよね、ええ。
猪瀬:あの1時間ぐらいの仕分けみたいなのをやって、そんなので半分にされちゃったわ
け?
川口:ええ。
(転載終了)

最後の言葉は政治の責任の重さを感じます。

2013年04月12日
柳 毅一郎

 

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